56歳女 姑に対して 京都市安井金毘羅宮 家族不和まで招く
もうすぐ、40台になろうかという頃、春に京都に10代の長女と旅行に行きました。
精神的にふさぎがちでもあったので、癒しを得るための遠出でもありました。
清水寺から、三年坂、二年坂、祇園花見通とどんどん西に歩いていきます。
大通りはなるべく使わず、小路ばかりを伝うように進んでいくと、中規模な神社がみえてきました。
京都観光は今までかなり経験していますが、この神社は初めてです。
マップで名前を確認すると安井金毘羅宮とかかれています。
縁切り神社、縁結び神社として有名なようです。
やや小さな境内に入ってみると、結構な人々がお詣りしています。
おみくじのような紙切れが中央だけ空いた碑に大量に貼られており、少し不気味さを感じます。
ふと、自分にも強烈に縁を切りたい人間がいることを思い出しました。
姑です。
私の精神状態の悪化はこの人が原因なのです。
後ろめたい気持ちにもかられましたが、縁切り詣でというものをやってみようかしらと、なかば遊び半分で試してみることにしました。
賽銭箱に数百円を投げ入れ、形代(身代わりのおふだ)をとり、願いを書き込みます。
それを持って、先ほど目にした、おふだで真っ白になっていた碑の中央をいったりきたりして、最後に貼っておきました。
ご利益など信じていませんが、なんとなく気持ちが安らいだように感じます。
その直後、日常に特別変わったことはありません。
しかし、3年程経ったある日、姑は急に倒れそのまま、この世から去っていきました。
80歳を過ぎており、もともと心臓疾患もありましたから、寿命でもあったでしょう。
でもこれだけでは終わりませんでした。
私自身がそれからしばらく経って、難病指定されているアレルギーの病にり患してしまいました。
家族も不安定になり、次女は社会人になったとともに家を出ていってしまいました。
住所も電話番号も知らせず、ほぼ音信不通です。
あの縁切りの効験がこんな形であらわれたのだろうかと、2年ほど病気で寝込んで心が弱くなった私は、悲しくてなりません。
人を呪わば穴二つといいますが、恨みをこのような形ではらしてはよくなかったのかと余計な考えがよぎります。